小説「かがみの孤城」の感想
小説「かがみの孤城」を読みました。
著者:辻村深月
発売:2017年(ハードカバー版)
受賞:2018年本屋大賞
かなりおもしろかったです。
主人公が若い女性で、
自身や家庭やコミュニティに課題を抱えていて、
悪い人が主人公に攻撃をして、
親切な人が主人公に寄り添ってやさしい言葉をかけてくれて、
最終的には主人公が抱えていた課題や困難から解放される。
という、いかにも本屋大賞っぽい作品。
「52ヘルツのクジラたち」や「ライオンのおやつ」と近い系統の物語。
しかし、それらの作品より本作の方が断然オススメ度が高い。
「鏡の城」という舞台や張り巡らされた伏線の数々が、評価に貢献しているからだと思う。
本書はそれらの作品たちとはレベルが違う感じがする。
読みながら、いくつか予想をした。
予想は以下の通り。
①鏡の城の7人の少年少女たちは、生きている年代が異なる
②喜多嶋先生という女性は、大人になったアキである(過去と現在の繋がり)
③鏡の城のメンバーに、こころの血縁の子や孫などがいる。例えばリオンがこころの孫とか(現在と未来の繋がり)
①と②は当たった。
③は外れた。
①について。
パラレルワールド説だと、物語として終盤の盛り上がりに欠けるだろうと思った。
だから、きっと時間が異なる説だろうと思った。
オオカミさまの「会えないこともない」というセリフからも、予想はしやすかった。
②について。
いくつかの観点からこの予想をしました。
ひとつめは、爪に関する記述という共通点。
九月にアキが髪を染めた時に爪のマニキュアに関する記述がある。(p188)
こころがウレシノと喜多嶋先生がきれいだよねという会話をするときにも「爪まできれいだった」という記述がある。(p252)
ふたつめは、最初に鏡の城で登場人物たちがフルネームで自己紹介しなかった点。
それを読んだ時点で、「鏡の城の名前だけ分かる誰か」と「現実世界の名字だけ分かる誰か」が同一人物であるということの伏線だと思った。
それに、「本名が伏せられた複数人が隔離されている世界」の話と「本名が開示された世界」の話が平行に進む物語としては「十角館の殺人」と構造が同じ。
同じ構造なら、同じように終盤で、同一人物というオチがあるだろうと思った。
以上の点から、喜多嶋先生=大人になったアキだと思った。
③について。
過去と現在の繋がりもあるなら、現在と未来の繋がりも描くだろうと予想した。対比として。
リオンがこころの血縁だと予想したのは、こころがリオンをイケメンと感じたのがきっかけ。
この描写は同年代の異性への愛情と見せかけた、子や孫に対する愛情というオチだと思っていた。
しかし、外れた。
そういうオチまで描くと「喜多嶋先生=大人になったアキ」の衝撃が薄らぐから、無くて正解だと思った。
「52ヘルツのクジラたち」とは違って、本書は主人公に不幸が集中していない。
だから「52ヘルツのクジラたち」みたいな不幸のてんこ盛り感が無くて個人的には良い。
「52ヘルツのクジラたち」の不幸は直列回路的で、「かがみの孤城」の不幸は並列回路的。
そんな感じ。不幸のボルテージが高くない感じ。
物語の中で、不幸を並列回路にするのは別の作用もある。
鏡の城の登場人物たちがそれぞれに課題や困難な事情を抱えているので、
登場人物たちにリアリティがあるというか、人間味があるように感じる。
そういう作用。
一方で、似たような物語の構造である「十角館の殺人」の孤島のメンバーは、ちょっと棒人間感があった。
結局「52ヘルツのクジラたち」や「十角館の殺人」と近しい点があると感じたが、本書の方がオススメということ。
たったいまWikipediaの辻村深月のページを読んで、びっくりした。
「小学校6年生の時に綾辻行人の『十角館の殺人』を読んで衝撃を受けて以来大ファンとなる。」と書いてある。
ここまで「かがみの孤城」と「十角館の殺人」を比較して、おそらく的外れな見方だろうなと思いながら、上記の記事を書いていた。
でも、的外れじゃなかったのかもしれない。
むしろありきたりな考察かもしれない。
というかメフィスト賞出身だったのか。
「かがみの孤城」のハードカバー版はポプラ社だから、意外だった。
メフィストは講談社なので。
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