「グラーフ・ツェッペリン あの夏の飛行船」の感想

高野史緒(著)「グラーフ・ツェッペリン あの夏の飛行船」を読みました。

グラーフ・ツェッペリン あの夏の飛行船|Amazon

まあまあ、おもしろかったです。

いろいろなSFに影響を受けているような感じがした。
香水に関する部分は「時をかける少女」的で、
少年少女の視点が入れ替わりつつ、互いに影響を与えながら話が進行していく部分は「君の名は。」的で、
少年少女の選択が世界のあり方を決定的に変えてしまう状況で、少女の犠牲で世界を救う部分は「天気の子」的だなと感じた。ただし、そのような展開は「セカイ系」全般での共通点とも言える。

著者は知識が豊富なんだろうな。
仏教的な知識、とくにアーラヤ識に関する部分や、アーラヤは蔵という意味でヒマラヤは「ヒム・アーラヤ」だったなどを語る部分で、知識の豊富さがうかがい知れた。
あと、着物の着付けのシーンとかもそう。

いくつか気になる点があった。
まず、文章中に「丸括弧を使った注釈」が多用されているのが気になった。
個人的には、別の文に分けて書いてもらっても構わないなーと思いながら読んだ。
まあこういう文体ということで、慣れるしかないのかもしれない。

あと、終盤は話がとっちらかっているような印象を受けた。
もともと短編だったものを、長編に変更した影響もあるのかもしれない。
序盤中盤での少女の性格や行動と、終盤での少女の選択との間にかなりのギャップがあるように感じた。
最終的な選択に至るであろう暗示が物語中には無く、
彼女がその選択をすることに対する葛藤などがないので、
読者視点では、彼女が突然その選択をしているように見えてしまった。

また、最終盤でグラーフ・ツェッペリンを追いかけるシーンでの話。
物語上の建前としては「ツェッペリンを追え!」としているが、
実際は著者の土浦?での思い出の情景を羅列しまくっているだけの部分が何箇所もあり、
読者としてはついていけなかった。
私の想像力の至らなさも、原因かもしれないけれど。

あと、ソ連やアメリカのスパイうんぬんの話は、結局どうなったの?
アメリカ人の英語教師とのエピソードの部分とか、結局何のためにあったの?
推測はできるものの、物語としての明確な解説パートが無くよくわからなかった。

文庫版の310ページにて、誤植がある。
誤「ビアノの発表会」
正「ピアノの発表会」
単純な疑問として、どうしてこのような誤植が発生するのだろうか。
間違えた部分をアルファベットにすると「Biano」と「Piano」となる。
これをキーボードで入力する際「B」キーと「P」キーとではかなりの距離がある。普通だったら間違えなさそう。
もしかしたら、著者が手書きで原稿を書いたあと、別の人がキーボードで(文脈を考慮せずに)入力しているのかもしれない。
もしそうだとしても、出版社が使っている構成ソフトはこれを検知できないものだろうか?
誤植を見て、そんなことを感じた。


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