「幸せなひとりぼっち」の感想

映画「幸せなひとりぼっち(字幕版)」を観ました。
原作:フレドリック・バックマンの小説「En man som heter Ove」(意味:オーヴェという男)
公開:2015年(スウェーデン)
時間:116分

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おもしろかったです。

本作のほうが映画「オットーという男」よりも、物語の流れが自然に感じた。
「オットーという男」よりコメディ色が薄いと感じた。

「オットーという男」で感じたいくつかの微妙な違和感が解消された。
原作に近い方を見て、やはり良かったと思った。

本作には、妻ソーニャの年老いた頃の写真があった。
「オットーという男」ではたしか若い頃の写真しかなく違和感を感じた。
リメイク版では、妻が半年前になくなったのか、若い頃になくなったのかがわかりにくい原因だった。

登場人物たちの車種は、本作ではサーブとボルボの違いだった。
技術にこだわりのある車と、大衆的な車という位置づけだったのかも。
「オットーという男」ではシボレーとフォードで、そのようなニュアンスが分かりづらかった。

猫の登場頻度が高かった。
「白い犬とワルツを」みたいに、妻の代わりに現れた存在という位置づけなのだろう。

ひとつ意味がわからないのは、
ケバブ屋のゲイの青年が主人公宅に泊まらせてほしいと言いに来たこと。
彼の隣に立っている友人の家では駄目な理由について説明が無かった気がする。
この点はリメイク版の方が、青年と友人を一人の人間に融合させていたので、納得感があったと思う。

本作の方がより一人の人間の生涯を描いているように感じた。
過去の父親とのやり取りや、若い頃の妻との生活や旅行の思い出のシーンがあったからだと思う。
本作のほうが、より悲壮感も感じた。
本作では鉄道会社の整備工をクビになる。愛妻ももう居ない。
だから生きる希望を失い、首をつって死のうとする。自然だ。
しかし、「オットーという男」では定年退職だったので全然悲壮感が無かった。
だから不自然さがあった。

主人公が工作でつくったものが、車椅子生活になった愛妻が学校に通うためのスロープだった。
「オットーという男」では生まれてくる子供のための揺り籠だった。これも不自然だとおもったんだよね。揺り籠を自作するかなー?って。
作中に唐突にゲイや車椅子生活が登場するのは、いろいろな層に受け入れられようというスウェーデン原作小説の意図なんだと思った。

最初に主人公がホームセンターで購入するものが、亡き妻のための花だった。
「オットーという男」では自殺に使うロープだった。


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