「犬王」の感想

映画「犬王」を見ました。
監督:湯浅政明
脚本:野木亜紀子

うーん、まあまあ。

南北朝から室町時代に活躍した能楽師犬王と漁村出身の琵琶法師友魚(ともな)の話。
犬王は異形の姿で生まれた設定。

予想外にミュージカルアニメだった。
コンテンポラリーダンスとQueenのバンド演奏が混ざったような表現を見ている気持ちになった。
中盤の演奏がすごく長いシーンで、うとうとしてしまった。
気がついたら、異形だった犬王の右腕が普通になっていた。

史実とかについて。
自分の知識がもっとあれば、違った印象を受けるんだろうな。
平家物語とか、全然知らないし。
力不足を感じる。
調べたら、本当に犬王が実在する人物と知ってびっくり。
てっきり、創作の人物だと思っていた。

バッドエンドっぽいので世間的な評価はそこまで高くなさそう。偏見。
バッドエンド自体はまあいいけど、最後取ってつけたような再会とダンスによっていい雰囲気にしようとするのは、うーんとなる。
もう少し詳しくこの気持ちを説明してみる。
まず、友魚を見つけるのに600年もの時間がかかった理由は、最期に友有から友魚へ名前が変わったからだ。納得できる。友魚から友有へと名前が変わったことで、友魚の父親の霊が友魚を見つけられない描写もあった。
でも、友魚を見つけられた理由について、納得できる説明がおそらく無い。だから納得できてない。
そこが、うーんてなる。
だから、何かしら友魚を見つけられるきっかけやアイテムや思い出の場所が、犬王と友魚にあれば納得できたのだと思う。
しかし、一時的に友魚から友有へと再び名称変更するくらいしか、作中に納得できるギミックが無いと思う。友魚の父親の霊がそうであったように。
でも、地縛霊の友魚が一時的に名称変更するのも、それはそれで意味わかんなくなってしまう。
だから、とくに説明がないんだと思う。
600年たったしええやろ、的な感じ。
でもそうすると、600年も犬王が友魚を探した理由は何なの、ってやっぱりなるよな。うーん。
結局、犬王は何を成し遂げたかった人物なのだろうか。うーん。

結局、あの異形の頃の犬王と友魚の時が一番良かったよね。
という感じに見えてしまう。まあ実際そうなのかもしれないけれど。

起承転結


漁師の息子友魚は、父と源平の合戦で海に沈んだ天叢雲剣を海から引き揚げるよう依頼してきた侍に同行し、父が剣を引き抜いた瞬間に失明する。
友魚は、父を亡くし母も発狂し、剣の依頼人を探す旅に出る。
友魚は、宮島の厳島神社で琵琶法師谷一と出会い、琵琶法師になる。

犬王は、異形の姿で生まれ、猿楽の一座の子でありながら忌み嫌われて育つ。


友魚は、成長し、上京して、通行人を脅かして遊んでいた犬王と出会う。
犬王と友魚は、犬王に纏わりつく平家の魂たちの声を聞き、奇抜な平家物語を歌って舞い踊る。
友魚は、友有と改名して友有座を旗揚げする。
犬王は、新しい舞を演じるごとに平家の魂が成仏し、部分的に体が異形ではなくなっていく。


犬王と友有は、足利義満の邸宅で、演舞を披露する。
犬王と友有は、演舞をしても、魂が成仏していかないことに気づく。
友有は、過去を幻視する。犬王が異形の姿で生まれた理由は、犬王の父と能面との契約によるものだと知る。
犬王の父は、演舞を披露する犬王に嫉妬して、能面に犬王を殺すように依頼するものの、能面の魔力によって殺される。
犬王は、この演舞で顔が異形ではなくなり、面を外して披露するのであった。


足利義満の命により、南北統一にともない、統一とは真逆の存在である友有座は弾圧される。
友有は、捕縛され処刑される寸前に、友魚の名を叫んで斬首される。
犬王は、足利義満の庇護のもと演舞を披露したが、後世に曲を残せなかった。
犬王と友魚は、600年後の現代の交差点で再会し、舞いながら天へと登るのであった。


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