「オービタル・クラウド」の感想
藤井太洋(著)「オービタル・クラウド」を読みました。
なかなかおもしろかったです。
個人的には、だいぶ読みづらかったけど。
ストーリーの大筋としては、本格風なSF小説であり、結末もよかったです。
一方で、細かいところでいくつか気になるところがありました。
※読みづらさの原因の説明でもある。
1つ目は、英単語のルビが多すぎる点。
例をあげると 上限、設定画面、出口、負荷分散、F22、嘆願書、忠誠度、目次 などなど。
これでほんの一部にすぎない。
英語圏の人物が登場するだけではなく、日本の登場人物もWeb系のエンジニアであるため、この英語ルビ地獄に拍車をかけていると思う。
普通の熟語の読み方を示すルビであれば、これほど気にならなかったはず。
2つ目は、特定の約物の多すぎる点。
とくに、 “ダブルクォーテーション” と 傍点 が多すぎる。
数ページにひとつとかのレベルではなく、1ページに複数の傍点を見かけることもあった。
これらの英語ルビや約物の多さが、読書体験に深刻な影響を与えていた。
こういうのは一度気になってしまうと、ずっと気になってしまう。
「まーた、傍点だ」と心の中でぼやき、いったん読むのを止めて、天を仰ぐことが何度もあった。
3つ目は、会話文が誰の言葉か分からない点。
本書では、「……と誰々は言った」というような記述を徹底的に排除しているようだった。
その結果、誰のセリフなのかがわかりにくい箇所が多かった。
著者にもその問題意識があり、対策もしていた。
しかし、その対策の結果、別の問題を引き起こしていたように感じました。
それについて、例をあげて説明したい。
簡略化した例文は以下の通り。
Aは微笑んだ。
「Aの会話文」
Bはそれを聞いて笑った。
「会話文」
この最後の会話文は誰のものだろうか。AかBか。
普通はBの会話文だと思うはず。
なぜなら、Aが微笑んだ後にAの会話文があるなら、Bが笑った後にはBの会話文があると思うからだ。
しかし、本書はなんとAの会話文だった。ただし、工夫がある。
それを示すのが以下の例文。(p75の会話を参考にした)
Aは微笑んだ。
「Aの会話文」
Bはそれを聞いて笑った。
「Bには参加して欲しいんだよな」
つまり、Aのセリフであることがわかるように、Bの名前を使う形になっていた。
これが工夫であり、対策だ。
一見これでいいと思うかもしれない。
しかし、実はこの一連の会話でAはBのことを「君」や「お前」とずっと呼んでいたのだ。
そして、会話文が連続してセリフの主がわかりにくいところでは「Bの名前」で呼んでいる。
つまり、一貫性がないし、作為的なのだ。
これでは、AがAのセリフを喋っているのではなく、著者がAにセリフを喋らせているように見えてしまう。
これらの問題は、そもそも「……と誰々は言った」という記述を徹底的に排除したことが発端となっている。
シンプルに「……とAは言った」と記述すれば、Aは自分の言葉で喋れたはずだ。
そのほかに、気になったことといえば原始的な動機の欠如や登場人物の人間性の深掘りの欠如だろうか。
とくに和海は、そもそもなぜ宇宙に興味を持ったのかとか、なぜ<メテオ・ニュース>をやるに至ったのかとか、巻き込まれた事件に対してなぜそこまでやるのかなどは謎のままだった。
これだけのページ数があるなら、軽く生い立ちにふれることもできたのではないだろうか。他の作品(三体0とか)を思い浮かべながら、改めてそう思う。
どうしても、巻き込まれつつもそれでもできるかぎり能力を発揮しよう、みたいな場面が多かった。
(みんな有能すぎるということは、いったん置いておこう)
最後は、よくがんばって主導権を握っていたとは思うけどね。
主人公?であれば、もっと流れに関与する姿勢が欲しかった。
それに<SAVE THE CATの法則>的にいうなら、原始人にもわかるような原始的動機が描けていると良かった。
人間性の深掘りの面では、正義側よりも、悪側の方がよく描けている印象だった。
ちなみに、以前著者の短編「従卒トム」を読んだことがあります。
そのときは、上記のいずれも気にならなかった。
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