「パルプ・フィクション」の感想

「パルプ・フィクション」を観ました。
公開:1994年(アメリカ)
上映時間:154分
監督:クエンティン・タランティーノ
受賞:第67回 アカデミー脚本賞

あんまりおもしろくは感じなかったです。
好きな人は好きなんだろうなと思います。

90年代のカリフォルニア。ギャングの部下やボスの妻・落ち目のボクサーなど、それぞれの視点のオムニバス映画。
視点や時系列がシャッフルされている特徴がある。

よくおすすめ映画に名が挙がる作品。

ところどころ、画がキマっているが、物語の展開もキマっている。
まさか、ギャングのボスが独り徒歩でファーストフードの持ち帰りをして、
横断歩道を渡る途中で八百長契約を反故にしたボクサーを見つけ彼に車で轢かれ、
彼を銃撃しようとしたらいろいろあってヤバい質屋の地下室でゲイたちに掘られるなんて。
私がストーリーを考えても、こんなケツ末をとても捻り出せない。
そもそも「ギャングのボスが独り徒歩でファーストフード」に行かないでしょう。行くかな?
こういう展開でも別にイイや!っていう感じがこの映画っぽさを感じました。

ボクサーが金時計を忘れた彼女にブチ切れるシーンについて。
彼女やモノにあたるくらいなら、肝心な時には自分の尻の穴に金時計を入れとこうよ。
ちなみに、ハノイで抑留中に親父とその友人が形見の金時計を尻の穴に入れることで数年間隠し通したのは、笑いどころじゃなくてプチ感動的エピソードという理解であってるのかしら。

『当時の評価と今の世代の評価は変わりそう』
この映画では時系列がシャッフルされていたり、ギャングたちが回収したアタッシュケースの中身が開示されていなかったりする。
そういう謎めいた部分が、当時の考察好きな映画ファンの心にぶっ刺さったのかなーと思いました。
それで、当時の映画ファンによって評価が既に固まっているので、いまさら誰もそれを積極的に覆すことができないし、わざわざそんなことしようとしない、みたいな。
「この映画は当時評価されたんだから、面白さがわからないのは自分に理由があるはず」というような考えがよぎった人は、結構居そう。

『英語を理解している人の評価とそうでない人の評価は変わりそう』
ギャングたちの会話はきっと面白いんだと思う。
ただし、英語がわからないとその面白さを100%享受できていないとも感じる。
英語がわからない人によるこの映画の評価は、英語理解者の評価の像と比較して、実はすこしズレていたり拡縮されてたりするんじゃないかしら。
「海外で評価されているからには、この映画を自分も評価しなきゃ」みたいなバイアスは本当に無いだろうか、いやあるはず。

監督のクエンティン・タランティーノがジミー役(血まみれの車をジュールスたちに持ち込まれた男性)で出演していたことに今気がついた。
すごく若い。1963年生まれだから、31歳くらいか。
よく知らないのでWikiを調べたところ、自作に出演するタイプの監督らしい。