「サタデー・ナイト・フィーバー」の感想
「サタデー・ナイト・フィーバー」を観ました。
公開:1977年(アメリカ)
上映時間:118分
主演:ジョン・トラボルタ
けっこうおもしろかったです。
「ブルックリンのダンス好きな青年が、ふと出会った年上の女性と、地元のダンスコンテストで優勝して500ドルゲットするゴキゲンな映画」だと思っていたら、違いました。
まず、裕福なマンハッタンと労働者階級が住むブルックリンとの格差社会がある。
そんな社会の狭間で苦悩し葛藤し揺れる青年を、それぞれの街を結ぶブルックリン橋をモチーフとして使い、そこを渡れる者や渡らない者や落ちて死ぬ者をを描いている作品。
けっこう社会派。
視聴前は男性版の「フラッシュダンス」だと、予想していた。
映画のタイトルやサムネを見たら、そう思うのも仕方ないだろう。
視聴後、すこしだけ「ライ麦畑でつかまえて」を彷彿とさせた。
いろいろな出来事が、だいぶとっ散らかっていたと思う。
無職の父はどうなったのとか、
神父を辞めた兄はどうなったのとか、
命がけで殴り込みをかけた相手はどうなったのとか、
年上の女性の元同居人はどうなったのとか。
これはブルックリン界隈のよくある悩みの羅列のように感じました。
だから、これはこれでいいとも思うし、いくつか削っても映画として成立するとも思う。
そもそもダンスコンテスト間近で、命がけで殴り込みをするかね?
しないでしょう、普通。
この映画もまた、主人公が敬虔なカトリック教のイタリア系移民だった。
主人公の部屋の壁に、ロッキーのポスターが貼られていた。
ロッキー、ゴッドファーザー、本作など。イタリア系移民主人公が本当に多い。
カトリック要素や当時の社会的弱者を描くときに都合がいい設定なのかしら。
出来事の一つに、主人公がクビを宣告されたけど実は冗談でしたというのがあった。
その直後、ペンキ屋の先輩従業員の勤続年数を二名ほど説明していた。
だから「このままこのまちで仕事を続けても、幸福な未来は無い」と仄めかすエピソードとして描かれている。
そう感じました。
でも、だとしたら分かりづらいかもです。
なんとなく観てるだけだと分からないかも。
せめて、このままじゃまずい的な、主人公のセリフや表情が欲しかった。
ヒロインの年上の女性がインテリ気取りの鼻持ちならない風に描かれていた。
最初は、ただただ嫌な奴だなーと思っていました。
でも、どうしてこういうキャラで描いているのかと考えてみる。
もしかしたら「ブルックリンと比べて、マンハッタンが素晴らしくて何もケチつけるところがない、わけじゃない」っていうのを描いてるのかしら。
つまり、あの女性はマンハッタンの代表として、ああいう鼻持ちならない性格の設定だったのかな。
もしだとしたら、誤解してる視聴者はいそう。
昨日の「パルプ・フィクション」でジョン・トラボルタが出演していたので、そのつながりで本作を視聴しました。